宮司の活動報告

2013年8月 8日 (木)

式年遷宮お白石持ちのご奉仕に参加しました。

八月四日~六日に伊勢の神宮の式年遷宮の行事である「お白石持ち」にご奉仕する旅行を実施しました。

初日(八月四日)
午前6時半集合。神前にて旅行安全のお祓ひを受けてバスで出発しました。

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二見の興玉神社に到着。
古来、神宮のご奉仕の前には「浜参宮」といって、
二見浦で禊ぎをしました。
このしきたりで、「無垢塩草」のお祓ひを受けます。

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夫婦岩の上には、鵜が羽をひろげて出迎へてくれえました。

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二日目(八月五日)
旅館を6時出発で伊勢に向かいました。
奉曳の準備のととのったお白石を積んだ車の前で
勇んで記念撮影をしました。

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午前8時、伊勢の木遣りに合はせて「エンヤ、エンヤ・・・・」と引き始めます。
一番車の先頭を受け持ちました。
一緒に綱を引いてゐるのは、福岡県のひとたち。隣の綱は鹿児島のひとたちです。

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宇治橋前まで引いて行って、宇治橋を渡ると、この白布をいただき、
これにひとつづつお白石をつつみます。
そして、新築中の御正宮に進み、瑞垣内まで参入。
お白石を納めてきました。

白布の上の木札は参加木札です。
紐の色や紐に通した玉の数で、綱をもつ位置を表してゐます。

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無事にご奉仕を終へて、お蔭横町の散策。
いつもの本店座敷に上がってこれをいただきました。

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外宮参拝、せんぐう館を見学ののち、昼食です。
伊勢の有名店「大喜」のおいしい食事です。

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三日目(八月六日)
昼神温泉を出発し、
甲斐国一の宮浅間神社
駿河国一の宮富士山本宮浅間大社
を参拝しました。
世界遺産コースの参拝旅行でした。
写真省略ごめんなさい。
式年遷宮の重要行事に奉仕させていただく有意義な旅行を無事に終了できました。
御協力ありがたうございました。

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2011年11月18日 (金)

「棟札」と瀬戸神社御造営の歴史

源頼朝の三嶋明神勧請の時より、鎌倉幕府(執権北条氏)、鎌倉公方足利氏、小田原北条氏、さらに徳川氏の尊崇により、社殿の造営、修造が行はれてきたものと思はれますが、江戸時代初期以前の記録は詳細なものがありません。
江戸時代中頃よりは、たくさんの「棟札」が残されていることから、造営や、屋根の葺替へ(古くは茅葺の御屋根でした)がしばしば行はれてゐたことが知られます。
その「棟札」のなかから主要なものを紹介し、瀬戸神社社殿の造営の歴史の一端を御紹介しませう。

元文五年(1740)の造営
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表に「願主米倉鍋三郎」とあります。武州金沢を領した大名米倉家の中で、米倉里矩の幼名です。享保十八年の生まれですが、享保二十年には父忠仰(タダアツ。柳沢吉保の六男。享保七年に居を武州金沢とする。)がなくなり、かぞへ三才にて遺領を継ぎます。元文五年はまだ七才くらいですから、家老たちの補佐によって藩政は行はれてゐたことになりますが、藩主として御造営の願主となってゐます。
「御息災延命御子孫繁栄祈所」との願意の記述には、この幼君の安泰を祈念する家臣や一族の気持ちがこもっていたのでせう。裏面の「作事方、木村團六、萩原唯右衛門」は米倉家の重臣の名前です。

寛政十二年(1800)の造営
現在の御社殿はこの時の建築になるものです。この造営は社殿だけでなく、石鳥居なども新たにし、随神像(室町初期と思はれ、現在横浜市指定文化財)や狛犬などにも修理をほどこし、神輿も造立するなど大規模な造営が行はれました。
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この棟札には米倉家の名前はありません。神主・社家・大工・世話人・名主が名前を載せて、あとは「三分村惣氏子」と記載されてゐます。神社の大規模な造営が、大名・領主に頼ることなく、村中の氏子一同の協力で成し遂げられてゐるのです。明治維新より60数年前の時期ですが、この頃の民衆はかうした力を蓄えるやうになってゐたのですね。民の力といふものは、西洋式の民権思想以前に、かうした形で生まれてきてゐるのです。

昭和四年の造営
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御鎮座七百五十年・昭和聖代御大典記念事業として実施され、茅葺きであった御屋根がこのとき銅板葺きに改められてゐます。
この時から80年を越える歳月が経過し、現在、御屋根の痛みも増してきました。
明年には御屋根葺替へを始めとする御社殿修営の事業に着手したいと計画中です。
ひろく皆様の御協力を御願ひいたします。

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2011年10月13日 (木)

神社新報に投稿/福島の状況に思ふこと

福島の状況に思ふこと

 震災と原発事故から半年以上が過ぎるなか、私ども被災地から離れた地域の者にとつても、日常の暮らしのなかで常に被災地のことが心に淀んだやな思ひが継続してゐる。多くの方々も同様のことと思ふ。そのやうな中で、私は現地に奉仕活動にも視察にも伺つてはゐないし、具体的な提言などできる資格もないのであるが、震災津波被災地域の、特には、原発事故により苦労されてゐる福島の神社関係者を支援するために、何が必要であるか、若干の思ひつきを述べさせて戴きたい。
 神社新報九月十九日(第三〇八七号)は、放射線防護服で拝礼される高倉宮司の写真を掲載され、さらに被災後も氏子との交流を続けられる宇佐神宮司の活動が紹介されてをり、「将来必ず故郷は復興すると信じてゐるので、氏子がバラバラな状態になつても、できるだけ氏子との繋がりは持ち続けたい。それが、将来の神社復興の大きな力になるでせうから」との同宮司の言葉を読ませていただいた。
 厳しい状況下での神職としての活動に、頭のさがる思ひというのでは言葉が足らない胸を打たれる実感がある。そこには「将来必ず故郷は復興する」といふ時の「将来」が来年なのか、五年先なのか十年先なのか、いや二十年、三十年先になるのかといふ大きな不安が薄黒く横たはつてゐることが、より心を悩ませるのであると思ふ。
 二十年、三十年といへば一世代の先で、「将来」がそんな先になれば故郷が復活できるのは子や孫の時代になることになる。こんなことを文字にするのは、一刻も速く復活を願つて励んでをられる方の心をふみにぢるやうで、憚られるのであるが、政治の混乱も含めて、除染や原発問題処理の困難さを案ずると、悲観的な展望も踏まへなければならないであらう。また、いかに政治が効率的に適正に機能したとしても、放射性物質の半減期を短縮することはできないのだから。
     ○
 しかし、こんな悲観的展望があらうとも、それを乗り越えて「将来必ず故郷は復興する」、いや「将来必ず故郷は復興させる」のが神職のつとめなのであらう。私ども全国の神社関係者にとつては、この「故郷を復活させる」活動に献身されてをられる被災地神職のみなさんを支援し、お手伝ひしてゆかねばならないと思ふ。本廳では神社復興基金を創設して、私どもも義捐活動に協力してきてゐる。 ただ、神社復興とは社殿の復興ではないことはいふまでもない。差し当つての処置として仮社殿の設置や、境内地の表示などの措置も必要であり、本建築の社殿まで復興できることも望ましいことではある。だが、氏子社会の復興なくしては神社の復興ではありえない。
 ことに今回の災害は(特に原発事故による避難生活は)この氏子社会の崩壊の危機をつきつけてゐる。原発事故が収束し、さあ帰って生活を再開して下さいといはれた時に、かつての生活がどれだけ復元可能であらうか。地域の絆はどのやうに再現し、地域の活力となりえるであらうか。
     ○
 その時にこそ必要となるのが「まつり」の記憶であるはずだ。町や村の暮しと一体となつた「まつり」の姿であるはずだ。この「まつり」の姿を記録にとどめて置き、町の再建の際の基本資料とすることも、神社に役割であり、神職の勤めではなからうか。
 津波に流された神楽や獅子舞の道具類をさがし出して、行事を復活させ、避難所で演じたといふニュースも報道された。こうした伝統の強い東北地方ではなほさらのことと思ふ。しかし、文書記録(写真や映像も)は災害により失はれたところが多いのではなからうか。
 さうであれば、今、「まつり」の記録作りの作業を積極的に行ふべきであらう。その作業には、差し出がましいことかもしれないが、平常時の神社活動ができなくなつてゐる被災地の神職の方々、特に若手の方々が中心になつてほしい。神社活動ができずに生活困難もある神職の方々については、神社庁等で臨時職員としても生活基盤を確保していただくこととして(もちろんその財政補填は本廳や全国からの義捐が必要)、業務として、避難所や他府県に移住してゐる古老や総代役員さんなどを訪問し、氏子としての繋がりを意図しつつ、子どものころの祭の思ひ出から、震災直前までのまつりの様子、また、まつりだけでなく町の構成や人々の生活の姿などを多面的に記録し、これを出版することを目標とした作業に従事していただいてはいかがであらうか。
 この記録を残すことができれば、それは、当初の目的である「故郷の復活」に資するだけでなく、今回の災害が悠久の我が国の歴史のなかでいかなる存在であつたか、そして、そのなかで、村や町と神社がいかに守られたか、または変化したかを遠い将来においても検証できる重要な歴史的価値を有するものとなるでありませう。
 かうした活動は政府や行政には出来ない仕事であり、しかし、我が国のくらしの在り方を持続し、豊かにしてゆく上で、被災地にかかはらず、重要な意義をもつものと信ずる。

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