月次のしをり

2017年6月 1日 (木)

六月のしをり

麒麟

きりん

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 天皇陛下の重要な儀式の時の正式なお召し物は束帯で、その袍を「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」といひます。櫨と蘇芳により染められ、黄色がかった赤茶色といった色合ひです。文様は桐竹鳳凰麒麟が長方形のなかに纏められた箱形紋に織られます。この黄櫨染は、天皇以外のものは着用できないものとして「禁色」とされてゐます。
 麒麟は伝説上の霊獣で、「礼記」によれば帝王が仁政を行ふ時に現れるとされ、性格は温和で極めて優しく、足下の虫も植物も踏んで殺生することを避けて、やや浮き上がつて歩くともされます。「聖王」の象徴として、中世以降、天皇の御料に取り入れられてと考へられます。姿は鹿、頭は龍、尾は牛、蹄は馬、毛は五彩で鱗があるといふ姿に描かれます。
 動物園にもゐるキリンは、明の鄭和がアフリカから珍しい動物を持つてきて永楽帝に献上したとき、麒麟と紹介され、永楽帝が喜んだことに始まるやうです。
 皇太子さまの御料は「黄丹袍(おうにのほう)」といひ、梔子と紅花により染めた色で、これも皇太子のみに許されたものとして「禁色」です。文は鴛鴦丸です。立太子の礼において召され、壷切御剣をお受けになられます。

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2017年5月 1日 (月)

五月のしをり

混柏(柏槙)

びゃくしん

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 「江戸名所図会」には瀬戸神社の本殿横に、びやくしん(「新編武蔵風土記稿」を始め、江戸期の地誌類では「びゃくしん」を「混柏」と表記してをります)の古い大木が倒れて安置され、「蛇混柏」と説明が付いてゐます。古くは瀬戸神社の境内には多数の混柏があり、太い古木もあったようです。

 伊豆の伊古奈比咩命神社(白濱神社)の境内にもビャクシンの古木が繁茂してをり、大瀬崎の引手力命神社(大瀬神社)のビャクシン樹林は国の天然記念物にもなってゐます。

 瀬戸神社にビャクシンが多くあったのも、三嶋の神を祀る共通点とともに、古代からの伊豆半島方面との交流(特に海上交通による)があったと想定できます。

 一方、鎌倉の建長寺や円覚寺にもビャクシンの古木があります。開山蘭渓道隆が大陸から持参した苗を植ゑたのに始まると伝承されます。かうした鎌倉文化の影響から大切に保護されたのかもしれません。

 境内西側階段の脇に、雄木と雌木の二本のビャクシンがあります。これを夫婦ビャクシンと名付けて注連縄で結びました。家内安全・夫婦円満のよすがともなれば幸いです。

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四月のしをり

神隨

かむながら

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 八百萬の神々、天神地祇をまつり、祈ることをもって生活の節目としてゆく暮らしの姿を「神道」と呼んでゐます。今日では仏教・キリスト教その他の諸宗教と対比ないしは並列的に分類されて「宗教」の一つともされてをります。たしかに神道には宗教としての特質もありますが、宗派的なものを超えた文化的事象をも神道と称することも多々あります。また、神道は天地悠久の伝統を継承する道であるとも説かれます。

 さて神道が、わが國の太古に遡るものであるならば、支那大陸から漢字が伝来する以前は、「神道」といふ呼称はなかったことになります。「神道」といふ用語が歴史にはじめて登場するのは「日本書紀」の孝徳天皇の条で、「仏法」に対比しての用語として使用されます。つまり、仏教がわが國に伝来し、重視される以前には、わが國の神まつりの姿を、わざわざ名をつけて呼ぶ必要も無かつたのが、仏教の登場により、それと区別する必要が生じたのです。そもそもは「神道」がなかったとも言へます。

 名前がないのは古代を語るときに不便ですから、江戸期の國學者は「かんながらのみち」とよぶやうになりました。万葉集や続日本紀にある「神随」「惟神」などの読みを当てました。ただ、これらの古代の用語は副詞として使用され、「かんながら・の・みち」といふ名詞あるいは形容詞的用法は江戸期國學者の発案のようです。

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2017年3月 1日 (水)

三月のしをり

世の中
よのなか

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人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は
  後鳥羽院
おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖
  前大僧正慈円
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
  鎌倉右大臣

百人一首の歌にはこのやうに「世」とか「世の中」の語が使はれる歌が多数あります。憂き世を厭ふといふ厭世的な表現もありますが、世を思ひ、世の平安を祈らずにはをられないといふ詠み人の念を感ずることができます。

 「この漂へる世をつくり固め成せ」との命をうけて伊邪那岐・伊邪那美二柱の神が国生みをされてより、世を思ひ、これを固め成し、またその平穏と繁栄を祈ることがわが國の深い伝統のなってゐることが知られます。

 しばしば「祖先崇拝」「自然信仰」が神道の特色と捉へられますが、それは表層的な見方です。神道には「世を思ひ、世を祈る」といふ重要な特色があります。「よ」のはたらきは「かみ」のはたらきの根本的な要素です。

 ルソーの社会契約論においては「一般意志」(ボロンテゼネラール)といふ概念が説かれます。鎮守の杜を保全し、氏神様のまつりを繼承してきた地域社会の営みを支へてきた人々の信条は、これに近いものがありますし、天皇を「国民統合の象徴」とするのも、単なる全体意志ではなく、「よ」の思ひを繼承してきた日本人の先祖から繼承された「総意」なのであります。
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2017年2月10日 (金)

二月の月次しをり

邯鄲の鳴く音聞かむと那須の野に
集ひし夜をなつかしみ思ふ

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本年の歌会始の御製です。宮内庁による説明は以下の通りです。
「天皇皇后両陛下は、夏の時期、那須御用邸で数日間をお過ごしになります。那須御用邸では、陛下のご意向を受け、平成九年以降、計十年間にわたって、栃木県立博物館が中心となり敷地内の動植物相調査が行われ、報告書にとりまとめられました。この御製は、嚶鳴亭近くで、夜間、研究者から説明をお聞きになり、邯鄲の声をお聞きになったときのことを思い起こされてお詠みになったものです。」
生物学者でもあられる陛下が、研究者達との集ひを懐かしまれてをられるとの説明ですが、私どもが虫の音を懐かしむといへば、子供や孫も含めた家族で夕刻を過ごす状況が先ず目に浮かびます。学術調査の折の御製としながら、見えない心の背景として、子や孫への思ひのつながりが隠されてゐるに相違ないと拝察します。

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一月の月次しをり

不改常典

あらたむまじきつねののり

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 元明天皇の即位のときの詔に、天武天皇が「天地とともに長く日月とともに遠く、改むまじき常の典と立て賜い、敷き賜える法」により即位するとされます。この趣旨のことは聖武天皇、桓武天皇と奈良・平安時代の天皇をはじめ、江戸時代の天皇の即位の詔までたびたび言及されることばとなってゐます。
 天武天皇が具体的にどのやうなことを定められたのかは、「日本書紀」などの史書には明らかにされてをりません。むしろ文章化されない不文の大法であったのでせう。近代国家となつてからの「憲法」や「皇室典範」のやうな成文法以前に、その前提となる基本が定められてゐるのです。
 かうしたことは、皇位継承といふ重要なことにはもちろんですが、私どもの日常のさまざまなことがらにも言へることではないでせうか。刑法だとか民法だとかに定められてはいなくとも、人として当然守るべき道や規といふものは様々な分野に存在してゐます。むしろそれらによってこそ、人の暮らしやこころが豊になり、暖かな世の中、勝れた文化が生まれてきます。神社を中心とした「まつり」と「くらし」には「不改常典」が満ちあふれてゐます。このことを大切にする暮らしをめざしませう。

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2016年12月 1日 (木)

十二月の月次しをり

荒神様

こうじんさま

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 お正月を前に、ご家庭の神棚のお札を新しいものに祀りなほします。神宮大麻と氏神(当地では瀬戸神社)のお札をお祀りしますが、古来、竈の神様である荒神様もお祀りしました。荒神様は各家の神棚とは別に、台所の竈の近くに祀られるものでしたが、近年はガスや電気によるシステムキッチンの普及で荒神を祀る場所がなくなり、神棚に併せて祀られる方も多いやうです。
 荒神様は竈の神さまであり、火を守る防火の神と思はれますが、御神名としては「奥津彦神・奥津姫神・軻遇突智神(オキツヒコノカミ・オキツヒメノカミ・カグツチノカミ)」の三柱とされます。カグツチノカミは火の神ですが、オキツヒコノカミ・オキツヒメノカミの「オキツ」は「火が熾きる」「炭火のオキ」にも通じますが、イネのことを「オキツミトシ」と称するのと共通するやうに、イネを始めとした穀物の神であり、食事・食料全般の守り神、さらにはそれを基盤とする「一年」の生命を御守り下さる御神徳を表された神さまでもあります。
 三柱の神様ですので、三本(三色)の御幣を束ねて祀るのが本式とされました。中世の神仏習合の時代には仏教では三宝(仏法僧)を守護する三宝荒神との呼称も生じました。電気やガスの便利な生活のなかでも、食事や食料、そして調理することの大切な意味を、荒神様を祀つて家族で再認識することも大切でせう。
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2016年10月30日 (日)

十一月のしをり

信倚

しんい
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本年八月に、天皇陛下にはおことばをテレビを通して仰せになられました。 その中で「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました」とおつしやつてをられます。今月は新嘗祭ですが、このお祭が単なる豊作感謝でないことがこのおことばからも知られませう。さらに「我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。」「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」とも仰せです。このおことばは、昭和天皇の終戦の詔に「朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在あり」とあるのと内容的にまったく相違はないものと存じます。漢文調で「信倚」といふのは、口語調では「思ひに寄り添ふ」といふこでせう。
しかし陛下が「思ひに寄り添」つていただけるといふことは、私たちもその「おほみこころ」により深くおこたへしなくてはならぬといふことになります。
陛下は「地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあること」の認識が「国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得た」ともおほせです。恐れ多いことですが、市井の中での地道な努めが「おほみこころ」を安んずる根本にあることを知るべきでありませう。そして陛下も国民も一体となった相互の「信倚」にこそわが國のとこしへの安寧の基があるものと存じます。
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2016年9月30日 (金)

十月の月次しをり

五色絹

ごしきのきぬ

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 神社の御神前にはさまざまな威儀物が奉安されてをります。そこに盾や矛とならんで真榊があります。これには左右に鏡と玉、剣とともに五色絹が掛けられるのが普通です。この五色は「青・黄・赤・白・紫」の絹がこの順に重ねられてゐるのが慣例です。この五色は大陸の五行の考へに起源がありませう。五行では「木・火・土・金・水」が基本の元素でこれが循環してゐます。そしてこの五行を表す色が「青・赤・黄・白・黒」とされます。わが國の風習では、赤と黄の順序が入れ替はり、黒の意で紫が使用されるのが慣らはしとなってゐます。
 この五行の五色は、方位では青が東、赤が南、白が西、黒が北で、それぞれ「青龍・朱雀・白虎・玄武」の四神が方位の守護神で、黄は中央の色とされます。また季節(暦)では春が木(青)、夏が火(赤)、秋が金(白)、冬が水(黒)となりますが、土(黄)は四分割して各季節の合間に振り分けられます。これが土用です。夏の土用だけが鰻を食べる日として話題になることが多いのですが、秋・冬・春の土用もあります。十月二十日が土用の入りで十一月八日の立冬の前日までが土用です。

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2016年8月31日 (水)

九月の月次しをり

心は神明の御舎

こころはしんめいのみあらか
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 江戸時代の伊勢神道の学者として知られる度会延佳の「中臣祓瑞穗鈔」の中に記されることばです。伊勢神道の根本神典とされる五部書のひとつ「宝基本紀」には「心は乃ち神明の主」と表現されてをります。人はだれでも神の分身を自分の中に宿してをり、それがこころであるといふ認識です。またそれが正直の根源でもあります。「こころ」といふ存在に「かみ」のはたらきを感じ取り、「ひと」すなはち「自分」の存在意義を思索したことばでありませう。西洋の哲学に比較すれば、「吾おもふゆゑに吾あり」にもどこか通ずるものかもしれませんが、「かみ」と「ひと」とがひとつの霊性を共有してゐる感覚は、一神教の観念とは相違してをりませう。伊勢神道は鎌倉時代に盛んになった神道説で、地方の武士にも伊勢信仰が広まりました。江戸時代の度会延佳以降は、町人庶民にも広まりました。また山崎闇斎など儒学者の神道説にも取り入れられました。闇斎は「神前に参れば、もはや向かうに神は御座なされぬ。則ちこの身に御座なさるる。」と言つてをります。「こころ」の大切さだけでなく、神性の故にこそ、「ひと」のあるべき姿、尊厳と使命、「こころざし」の大切さも説かれました。
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